伝統・文化
「400年以上前の日本の大名料理はこのようなものだった」海外の反応
今回は大名料理についてです。
動画では石川県金沢市にあるお店「大友楼」が出している大名料理が紹介されています。
*大名料理は4:40あたりから
400 Year Old Japanese Cuisine | What did they Eat? ★ ONLY in JAPAN
・美しい着物を着て、きれいな庭を歩いている2人が見れたのがすごく良かった。
キジが私をじろじろ見てきたら、食べれないなと思う。
・鳥が出てきたとき表情が傑作だった。
・好みの料理の味ではなかったように見えるけど。
・あの庭で1日中、くつろげそうだ。
・マジか、お皿に鳥1匹丸ごと盛り付けするとはすごい料理だ。
この動画はコロナウイルスの前に撮ったもの?
・キジは私を食べてと言っているんだよ。
・素晴らしい料理だけど、それでもラーメンや寿司を選ぶわ。
シンプルな日本の料理だから。
・死んだ動物の頭に見られながら食べれるかどうかわからないな・・・。
・キジにしては面白い色をしている。
キジの尻尾ではあるけど、ライチョウみたいだ。
・1つ素晴らしいと思うのは、あの伊勢海老のように上手く料理されているけど、日本料理は食べ物が生きているかのように作るところだね。
・日本の歴史、習慣、伝統の小さな一部を学ぶ素晴らしい方法だ。
僕の行ってみたい場所のリストに加えるし、いつか行ってみたいよ。
・ドクターペッパー(アメリカの炭酸飲料)を飲むたびに似たような儀式を体験するよ。
・あれは刀?
もしそうなら、上下が逆だと思うんだけど。
・動画の再生速度を上げたら、日本の伝統的な音楽がインドのボリウッド音楽のように聞こえるのが面白い。
・400年経った食べ物を食べたのかと思った。
400年前からある料理ということね。
・動画は楽しめたけど、実際にその場にいたら、すごく気まずくて居心地が悪く感じるだろうな。
・1つ間違った歴史的な事実がある。
工業化以前は大半は玄米を食べていたし、食パンのような白米は産業化した最近の食べ物さ。
・小川が流れているあの家はとてもきれいだった。
・日本の料理を見るたびに迷うんだよ。
海鮮料理はあまり好きではないという一方で、とても見た目が良くて美味しそうというのがあるから。
400年前ではないな、加賀の大名料理が大成するのはもう少し後の時代。
>1つ間違った歴史的な事実がある。
工業化以前は大半は玄米を食べていたし、食パンのような白米は産業化した最近の食べ物
江戸では大半が白米を食ってたがな
むしろ白米しか食わないから脚気が流行った
都市部で白米が食べられるようになったのは徳川吉宗が行った享保の改革の頃。
農村部でも白米が食べられるようになってのは明治からだな。
大半、というなら正しいといえば正しい。
サンマは目黒に限る
キジは衝撃すぎてショックを受けた
本当にああいう盛り付けがあったの?
自分ならあれが出てきたら申し訳ないが食べられない
脚気が流行ったのは白米ばかり喰ってたからだが
東北が完全水田化するのは江戸時代中期以降で、これが昔は米を食えなかったと言うイメージを作っているんじゃなかろうか
西日本の水田化は早くて、江戸時代なら水利の悪い台地も水田にしていた時代
大名料理じゃなくて加賀料理だし
どこの大名もこれ食ってたって言うなら大名料理だが、ぜんぜん違いますがな
>キジは衝撃すぎてショックを受けた
>本当にああいう盛り付けがあったの?
博多の鳥刺しは大人数で頼むと似たような盛り付けしてくる店あるよ
マジの活け造り仕立てで凄いインパクトある
これは火が通ってるじゃん
玄米じゃ寿司もお握りも酒も作れ無いよ(笑)
工業化以前って、いつの時代の事?嘘つき外人さん。
>>玄米じゃ寿司もお握りも酒も作れ無いよ(笑)
>>工業化以前って、いつの時代の事?嘘つき外人さん。
清酒じゃなきゃ玄米で作ってたし、玄米のおにぎりも普通にあったぞ。
恥と低知能晒すだけなんだから、外人にマウント取ろうと試みるのやめときなw
殴り返してこない相手にしかイキれない下劣な嘘つきガイジ君ww
まず玄米が先で白米が後っていうイメージが逆だよな
米は唐の影響で奈良初期からそもそも白米として(貴族に)食べられてた
労力さえあれば幾らでも搗ける”ただの手作業”なので別に技術とか工業化とか関係ない
それ以前は古代米とか言われてる通り赤米やら他の陸稲とかだし、庶民は雑穀
労力イコール価格なので”不完全な精米をした白米”なんだけど、それは単に糠が残存した白米であって玄米ではない
逆に精密に脱穀した今のような茶色いきれいな玄米、これは技術がいるので広く流通するようになったのは工業化が進んだ後
登場順序が逆よねって話
上でも出てる通り江戸時代の脚気の原因は享保の改革で収量増加・精米省力化が進み、雑穀食が減って白米を都市部の庶民も広く食べていたからだね(玄米から白米になった訳でも精米比率が上がった訳でもない。雑穀から白米になった)
江戸期のレシピや風俗画を見ても判る通り、江戸の米とくに中期以降で米といえば白米なんだよね
江戸前ができる前、箱寿司押し寿司の時代から寿司の米は白米だからね
それは屋台で売られていたわけだから、別に高級品ではないわけだ
そして明治期に貨幣経済になった事もあって地方の農村でも米が十分に消費されるようになったと(税として米を準備する必要がなくなったからね)