歴史
「1945年当時の日本で流れた玉音放送はこのようなものだった」海外の反応
今回は玉音放送についてです。
1945年8月15日正午に放送された昭和天皇による終戦の詔書になります。
[RARE] The Voice of Hirohito - 1945 Jewel Voice Broadcast (玉音放送)
・なぜかわからないけど、彼の声は心が落ち着く。
・グーグル翻訳の音声のように聞こえる。
・彼は正しい決断をしたと思う。
1いいね=裕仁の決断に賛成
・天皇の声を聞いた日本人の反応はどうだったの?
・裕仁が話している間、すごく緊張しているように聞こえた。
・この言語はアニメで聞いたものとは全く違う。
・ということは、これは神の声なんだな。
・1989年まで在位して生きていたことを考えると、記録した彼の音声は珍しいものなのか?
・降伏していなかったら、アニメはなかったな。
・彼の日本語はとても変に聞こえて、現代の日本語とは違い、理解するのが難しいよ。
・ヒトラーとは違い、裕仁は国民への思いやりや人間性があった。
・1940年代にいた人だけがラジオの生放送でこれを聞いたのを覚えているんだね。
・これは戦争をやめると言っているのであって、降伏するとは言っていない。
・これといった理由はないけど、これを聞いていたら懐かしい気持ちにさせるよ。
・彼のおじいさんである明治天皇ほど強さはなく足元にも及ばない。
・天皇が戦争をやめなかったら、日本人はどうなっていたのか想像してみな。
・連合国に降伏していなかったら、日本は存在していないだろう。
・自分の背筋がゾクゾクするよ。
ほとんどの日本人は、これが初めての天皇陛下の声を聞く機会だった。ただし当時のラジオは性能が悪いので、何を言ってるかほとんど分からなかったそうだ。ここではだいたいわかるが、それでも自分も知らない単語がいくつかある。朕というのは私という意味だが、天皇陛下だけが使う言葉。うちの母はこれを聞いて「やっと戦争が終わる」と嬉しかったそうだ。多くの日本人は聞きながら泣いていたとか。その心情はうちの母なんかとは違って、「陛下にご迷惑をおかけして申し訳ない」という意味だったとどこかで読んだことがある。この辺の日本の歴史、軍国主義の始まりから敗戦までは日本では全く総括されず、いまだに何が正しくて、何が間違いだったのか日本人自身にもわからない。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・の部分しか知られてないけど
東京大空襲や原爆など、兵士間の戦いではなく民間への攻撃被害が大きくなって
最早これは戦争では無いと仰ってるんだよね。
アメ公に報復するべき
耐え難きを耐え忍び難きを忍び
今も日本人に
堪え難きを耐え忍び難きをしのび
日本人の心に深く訴えかけるものがある
条約無視して無差別虐殺してる相手に降伏して生き残れるという判断は当時の誰にも為し得ない
たまたま今生きているということに過ぎないんだよ
鬼畜米英は間違ってなかったな
アメリカが原爆で民間人を無差別に大量虐殺するから
と内容にあるんだよね
「日本の一番長い日」などでも分かるが,継戦派を退け電光石火の行動力で玉音放送にこぎつけ,原爆投下3発目を阻止したのは昭和天皇のおかげ。
ちなみに継戦派で「一億層玉砕作戦」を立案し,「他に天皇を護る方法があるなら言ってみろ」と軍部を黙らせ認めさせた種島大佐は日本が敗戦すると同時に日本共産党に鞍替えした。(日本の共産主義者は相手を黙らせるのに一番天皇を利用する)
「鬼畜米英」のおおもとは,アメリカ雑誌「LIFE」の表紙を飾った「日本兵の頭蓋骨をプレゼントされてお礼状を書いている少女」の写真。
これを知った日本人が,出兵した自分たちの身内の扱いだと思えば「欧米人は鬼畜だ」と思うのは当然のことで,マスコミもそれを煽った。
リンドバーグの従軍記でも日本兵の頭蓋事をトロフィーにしようと艦内で煮ていた米兵が,臭いから捨てるよう上官に叱られる話があり,他にも移送中の飛行機から日本兵捕虜が次々に放り出される話,金歯銀歯ほしさに日本兵はもちろん日本人居留民の口までナイフで裂いて引き抜く米兵の話など,鬼畜のオンパレード。
正しい決断とか何言ってるんだ?ってなる
意味もわからずに書き込むな