スポンサード リンク
 
食べ物

「日本の江戸時代に食べていた庶民の食事を再現してみた」海外の反応

  • コピーしました

今回は食事についてです。
動画では江戸自体の当時、庶民が食べていた食事を再現しています。


 
 



What Samurai(Japanese)ate in the Edo period




・納豆が好き。
酷い臭いだけど、驚くほどまろやかな味だ。


・思っていたよりもずっとシンプルな食事だった。


・私の見るところでは体に良いとは全く思えない。


・炭水化物がすごくたくさんあるから、太ってしまうだろう。


・このご飯の量が多すぎるというのがわからない。
理想的な量のようの思えるけど。


・1日中、毎日、外で働いていたのなら、この量を食べるほどお腹が空いていただろう。


・当時の人は入手できるものを食べていたのだから、何も驚きはないだろ。


・昔の人は異なる生活様式だったのだと思う。
毎日、肉体労働をして、より多く食べていただろうし・・・。


・私なら、毎食、ご飯5杯を食べれる。


・この量のご飯を食べることができるから、何の問題もない。
唯一、気になるのは、ご飯と一緒に出ているおかずの量がすごく少ないことだ(笑)


・正直言って、我々ネパール人は毎日、この量の米を食べている・・・。


・常に戦闘のために訓練していたのだから、すごくたくさん食べていたんだよ。


・僕は72キロだけど、これは僕が1回の食事よりも少ないね。
胃がとても小さいのだろう。


・味噌汁はすごく良いぞ。


・肉はないのか?
この食事は私向きではないね。


・タンパク質はどこ?
魚や肉をあまり食べていないことに驚いた。


・現代の日本人:こんなにたくさんのご飯を食べていたのが信じられない
アメリカ人の私:これは量が少ないだろ

 
 
 
 
  • コピーしました

   食べ物   34

コメントは34件です

  1. 匿名 より:

    いつみても「そりゃ脚気になるわな」な献立だ……

  2. 匿名 より:

    質素すぎて栄養も偏ってたらしいとは聞くね
    他国に比べてもとびきり盲人が多かったのもそのせいだろうって

  3. 匿名 より:

    一日二食だからまぁ大盛にもなるだろうけど、これじゃ脚気にもなるわな

  4. 匿名 より:

    江戸時代じゃなくて江戸の食事だな

  5. 匿名 より:

    江戸以外ではそんな白米食ってない定期

  6. 匿名 より:

    味噌汁や納豆も食ってるなら脚気にならないだろ

  7. 匿名 より:

    基本、白米じゃないし。

  8. 匿名 より:

    当時は栄養バランスなんて考えが無かったから健康的な食事なんて期待できんな

  9. 匿名 より:

    大人が脚気になりやすかったってことは、江戸の町人は妊娠したら余計にビタミンB1不足になってた率も高いって事
    妊娠悪阻になって母体も危険だし江戸で生まれてくる子は健康に問題あった子も多かったんじゃないかな

  10. 匿名 より:

    今でも野球選手とか沢山食うから
    その記録に残ってた食事量は肉体労働の人のなんじゃないのか?

  11. 匿名 より:

    頭悪いコメ多数で哀れ

  12. 匿名 より:

    元コメもここのコメも、365日こればかり食ってたみたいな狭い知見にちょっと引く

  13. 匿名 より:

    日本人はお米と味噌汁と 漬物 で十分 栄養取れてた。 江戸の飛脚はすごい距離を走るのにその粗食で十分だったみたい。

    日本人にもっとたくさんのタンパク質の肉を食べさせればさらに走るんじゃないかと欧米人が食べさせたけど全然走れなくなった。

    また1日3食 よりも1日2食の方が 免疫力や 若返りに良かったみたいです。 日本人がノーベル賞取った オートファジーという 細胞の生まれ変わり が 食事と食事の間を開けた方が 細胞が活性化するという。 だから日本人の昔の食生活が現代でも最強。 くだらない 欧米の下らない嘘知識に騙されないようにしないと日本人は。

  14. 匿名 より:

    タンパク質 納豆 豆腐 魚

  15. 匿名 より:

    宮沢賢治の『雨ニモマケズ』にも「一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ」とあるね。

  16. 匿名 より:

    今の価値観で過去を測るのホント嫌い
    なぜ当時はそれが肯定されてたのかって考え調べるほうがよっぽど創造的

  17. 匿名 より:

    かまどくらい再現しろよ。
    糠漬けはビタミンB類が豊富、江戸患いの基本の所で間違えていた。
    大豆製品はリシンが豊富、アミノ酸だから加工しても変わらない。

  18. 匿名 より:

    白米はクールじゃないぞ、日持ちが良いんだぞ。
    焚き火の上の五徳は、火鉢の炭火の上に置いた物。
    知らないのも無理は無いが。

  19. 匿名 より:

    米糠を何に使っていたか今の人は知らないだろうな。
    糠漬け以外に、親油性だから掃除に使ったり身体を洗ったり米糠油を取ったり。
    米糠があるって事は玄米のまま食べていたわけじゃ無いって事。

  20. 匿名 より:

    腹いっぱいになればそれでいい

  21. 匿名 より:

    日本じゅうの漁村から相撲取りになる人材が供給されてた
    動物タンパクはやっぱり身体作るからね

  22. 匿名 より:

    「江戸煩い」だけだはなく農村でも白米は雑穀を混ぜて食っていた。
    江戸では衣・食・娯楽・宗教・修繕、何でも家まで売りに来た。
    農民は武士より金を持っていたことが、「夢酔独言」を読めばわかる。
    庶民は将軍よりいいものを食っていたのが江戸時代。

  23. 匿名 より:

    白米を食べてたのは基本江戸
    なんでかといえば各藩の江戸藩邸の関係で地方からの単身赴任者も多く、職人なども多かったので今の一人暮らしの若者じゃないが好きなものを食べてたから
    そのため屋台や露店などの外食もやたら多かった、握り寿司や蕎麦、鰻丼などが人気だったのもその影響
    玄米だとそれ自体にタンパク質を含んだ色んな栄養素もあったのでそれだけ食べても十分に栄養がとれた
    そもそも炊飯はずっと火の調整が必要だったために妻帯者ぐらいしかまともにやってない
    長屋のおかみさんたちのところへは市場から仕入れたり、自分たちで作った棒手振りと呼ばれた天秤棒担いだモノ売りが売りにきてた
    そこで海産物や豆腐を含めた色んなものも売っていた、金魚や鈴虫なんかも売ってたらしい

  24. 匿名 より:

    玄米といっても完全な玄米ではなくて所謂3分づき5分づき7分づきといったもの
    精米方法が臼と杵でつくものなので完全な玄米というもの自体が存在してない、必ずある程度はとれる
    地方はそういう分つき米に雑穀などで嵩を増して食べていたところが多い

  25. 匿名 より:

    江戸時代どころか小学生時代の老先生が子供時代(戦中派かな?)には今の栄養素みたいな概念が全く無かったと言ってた
    遠足みたいな行事の時には「今日はたくさん歩くから栄養をつけるように」という事でデカい弁当箱にぎっしり白米を詰めた日の丸弁当を持たされてたとか
    量を食えば栄養がつくと思われてて誰も疑問に思ってなかったと言ってた

  26. 匿名 より:

    > 量を食えば栄養がつくと思われてて

    まあ実際玄米とか雑穀米食べてた頃はそれで何とかなってたし…
    アップデート出来ないまま白米食ってたんだろうな

  27. 匿名 より:

    栄養学みたいなものがない時代だからね
    脚気も陸軍軍医だったあの有名な森鴎外は細菌によるものだとして解決しないで沢山の犠牲が出た
    当時の兵士たちは腹いっぱい白米が食べたかったから
    それに対して海軍軍医は栄養に問題があるとして麦飯を導入して回避に成功してる
    実はある程度経験則で白米だけ食べたら問題があるのでは?とは一部の人は気が付いていた
    江戸煩いで地方には見ない病気だったから
    好きなものだけ食べてたらそりゃ問題が出るというのは現在ならわかるが当時は半信半疑
    ならば好きなものを食いたいってのが心情

  28. 匿名 より:

    納豆、味噌汁、漬物などは簡単に肉が食えないから仕方なくそういうのでタンパク質を摂ってたんだよ
    別に好き好んでそういう食事をしてたわけじゃない
    単なる消去法

  29. 匿名 より:

    例えば七人の侍や用心棒なんかを見ると正確という訳ではないが当時の食生活も少しは理解出来る
    身分や職業によって食べれるものも変わるし農民なんかは毎食白米が食えるほど豊かでもない
    日本だと戦後あたりまではそういう食生活が続いていた

  30. 匿名 より:

    肉はおそらく現代人が考えるより食べていたよ
    そもそも農業をやるうえで邪魔になる害獣が沢山でる
    それらは定期的に狩られていたしそれを食べてもいた
    だから昔話で狸汁なんて話が残ってる
    おそらくこれは貉汁で穴熊のこと、昔は貉は穴熊、狸、狐のこと
    またぎなどと呼ばれた猟師は普通に猟で生計を立てていたし税は毛皮で払ってた
    当然肉は利用していたが自分たちでは消費しきれずに売っていた
    ももんじや(百獣屋)ってのが江戸中にあってそこでは今でいうジビエ料理(大抵は臭みを消すために味噌鍋)が精がつく料理として食べられていた
    また海なし県以外は普通に海産物がたんぱく源として利用されていた日持ちのする佃煮みたいな形で
    ちなみに肉じゃないという言い訳に桜肉、もみじ肉、牡丹肉なんて呼び方をされてた
    全部獣肉なんだけど

  31. 匿名 より:

    また藩によってはトサツを対外の生業の一つとしていたために(皮は太鼓などの祭具、武具などでずっと需要があった)肉も食べてた
    良い肉は例えば彦根藩から将軍家へ近江牛の味噌漬けじゃないが献上されてた
    井伊直弼は熱心な仏教徒でもあったためにそれを禁止して結果暗殺されたなんて当時の大衆は噂してた
    いまでも油かすなんて名前でトサツした家畜を油や膠をとったあとのカスまで食べてたものがある
    普通に郷土料理だよ

  32. 匿名 より:

    コイツの動画って反日だろ?

  33. 匿名 より:

    昔の日本人が米を沢山食べていたのは、糖質とかに関係があるんじゃないか?当時は砂糖とかの糖分は無かったから、身体が欲してたんだろう。

  34. 匿名 より:

    炭水化物=糖質が持久力の源であり、昔の日本人は味の濃い少ないおかずで大量の飯を喰っていた
    今みたいな食生活になったのは、戦後の高度成長期以降のこと

コメントフォーム

名前 

メールアドレス (公開されません)

コメント



プロフィール

Author:clown

2013年からFC2ブログで
海外の反応ブログを始めて
2018年からワードプレスに変更。

ここまで長く続けられたのは
楽しいから。

これからも楽しく
続けていきたいです。

以前のブログはこちら
↓↓↓
海外の反応ジャーナル(FC2ブログ)

人気ページランキング
カテゴリー
検索フォーム
アーカイブ
最近のコメント
人気ブログランキング
相互RSS


リンク集

海外の反応ブログ

 
 
 
 
 
 
 

2chまとめ

 
 
 

アンテナサイト

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
週間アクセスランキング